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目からウロコのヨガをどうぞ

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お久しぶりです。
インドに振り回されぱなしでずっとブログを更新できないでいました(笑)

さて、今日はヨガのお知らせです。
インドで出合ったチェタンヨガ。
このブログでも何度かご紹介しましたが、チェタンヨガを日本に連れていきます。
今回は東京と静岡でワークショップを開催します。



詳細はこちらからどうぞ。ご予約申請もサイト経由でできるようになっています。

以前から「骨まで動くヨガ」と言ってきましたが、
このバンガロールでチェタンヨガに来てくださっていた生徒さんのお一人もこれを
バックアップするコメントを書いてくださいました。それがこちら:


"希望がもらえる! 骨が動きます。
...側弯の私が、クラス後には背骨が真っ直ぐになり、ありえない!本当に。
整体、接骨院、何をしても、まっすぐにはなりません。
希望をもらえます。その人に合った的確な指導で素晴らしい先生です。
ヘルニアなどにも実績のあるチェタン先生。側弯で悩んでる方、体に故障がある方など、1人で悩まずに是非体験してもらいたいです。"


私も椎間板ヘルニアで坐骨神経痛が続いていたのですが、今ではベッドから飛び起きるほど。完治しました!

ご存じのとおりインド人が日本へ行くにはビザ申請が必要なんです。
気軽に「来週行く」というわけにはいかないのでした。
このような機会がまた来るか分からない。是非この機会に試してみてください。

見えていなかった世界が目の前でわーーーっと広がると思います。






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戦争とおとーさん

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インドにまったく関係ない話ですが、今日8月16日は4年前に亡くなった父の誕生日。
昨日の終戦記念日にちなんで、父が話してくれた戦争の話を書いてみます。

大正14年に熊本の米問屋の末息子として生まれた父。
















私にとってはとってもよい父でした。
同時にとっても不思議な人でした。

朝起きて富士山に向かって必ず一礼していた父 (そう、在所の窓からは富士山が見えて
いました)。
TVで朝日が出ると、やはり姿勢を整え、目をつむり、両手を膝の上にぴんと伸ばし、
一礼。
反射的にそんなことをする父でした。

そんな父が学徒動員で満州に行ったのが昭和20年。1945年の2月のこと。
1月21日、いつものごとく学校へ行き、マレー語を勉強していた父(なぜマレー語
なのかは不明)。その間に、実家に赤紙が届いたようです。
同年2月11日の建国記念日に父を含む300人が学徒動員で満州へと送られたわけです。

2月16日に満州蜜山に着き、そこから3時間ほどをかけ、最極端の国境まで山の中
を雪中行軍したそうです。
2月の満州は液体すべてが凍り付くほど寒かったとのこと。
そこで3ヶ月間、幹部候補生の試験を受けるために教育を受け、同年6月頃、
平安鎮の部隊に異動。杏やすずらんが印象深かった、と話してくれました。

7月頃、幹部候補生に合格。その後すぐに、4日間歩行し、八面通に移動。
その駅から山に向けて6時間ほど歩き、山の中で陣地工作を開始。
夜中には狼が吠え、ロシアの偵察機が飛びかっていたとのこと。

7月後半に、歩行して部隊を半裁河に移動。
部隊編成で、ロシアとの国境2キロまで前進。
そこには宿舎が設けられていて、兵士たちが寝泊まりしていました。
夜は交代で見張りを行っていたそうです。

そして、終戦間際の8月9日午前2時58分。
まだ辺りは暗い3時からの見張り交代のため、宿舎の戸を開けた父。
目の前に巨体! 「ズドーン」! その場に倒れこむ。

動転しながらも、ロシア兵が宿舎に寝ている日本兵に向けて鉄砲を打ちまくるのを目のあたりにした父。必死だったそうです。這いながら部屋中央にあったペーチカの後方へと移動。

起きる前までとなりに寝ていた城尾君はこのとき亡くなってしまったそうです。
浪花節が非常にうまく、夜も一緒に風呂を共にし、歌ってくれたと。

当時26歳ほどだった轟 (トドロキ) 班長は亡くなったと思って…

終戦記念日とおじいちゃん

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今日はインドの独立記念日、そして日本は終戦記念日。
独立記念日については 2012 年に書いたブログをご覧いただくとし、 終戦記念日について今日はちょっと書いてみます。
終戦から72年経った今年。 72年かぁ、、、ついこの前終戦から45年とかと聞いていたような気がしていた けれど、もうそれも30年近く前の話なんですね...失礼しました(; ̄ー ̄
どうりで戦争に行って戦った父も亡くなっているわけです。 終戦日の次の日 (つまり明日) が誕生日の父。 そんな父が語ってくれた戦争の話はまた後日にしたいと思います。
今日は母方の祖父、私のおじいちゃんの話。 この話、今まで誰にも話したことがないのです。 やっと話してもいいかな、という気分になったのでします。
実は、私の祖父は、戦前、静岡県警の初期警察学校の校長をしていました。
戦後、警察関連の職についていた人達はほぼ全員が職を失ったのはご存じでしょう。 そんな祖父が戦後4年経った昭和24年に歌集を出版したのでした。 これがその歌集の目次とあとがき部分。


「たたかひ」と題した歌は、まさしく戦時中の様子を歌ったもの。
若い兵士たちが貨物車に馬と乗り居る様子や、
空腹に耐えながら一生懸命生きている家族の様子、
そして、その一方で、戦争中でも普通の生活があった様子も描かれています。
たとえば、長男の就職志望が中国と聞いて許可できない旨や、
電車が来ても乗る人がいない様子、
街角の床屋の灯りが明るく回転椅子に座って顔をそってもらっているときに
うとうとしたなどなど、、、。


貴重なものを残してくれた祖父に感謝。
明治生まれなのに、長身でがっちりしていたおじいちゃん。
母の記憶は「厳しいおじいちゃん」、
私たちの記憶は「お餅に砂糖醤油をつけて食べる優しいおじいちゃん」でした。
いつかこの歌集をとことん解読しなくては。

戦争のない世界になりますように、無理でしょうが、、、。



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思い出のカルチャーショック

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いろいろな国で生活すると、驚きのカルチャーショックに面する機会
がたくさんあります。
アメリカに留学したばかりの頃のカルチャーショックは、ランドリールームでのこと。 大学の寮にはランドリールームがあり、大型洗濯機と乾燥器が設置されています。 ある日洗濯しようと思って行ってみたら、すべての洗濯機がいっぱい。 人によっては洗濯ものを取り出して、横の洗濯機の上の置いて使う場合もありますが、 私はそのときはお行儀よく、誰かが来るのを待っていました。
やっと来た~。 1台の洗濯機から洗濯物を取り上げる。 ええええーーーーー。スニーカーの束!!! そうなんです、アメリカ人はスニーカーを洗濯機で洗うのでした。 その方、そのスニーカーの束を今度は乾燥器に。 去った後、ガタゴトと乾燥機に中で暴れるスニーカーの音だけが妙に大きく鳴り響いていました。
※これは数十年前の話ですが、最近日本へ帰ったときに姪っ子がやはりコインランドリー でスニーカーを洗うんだ、と話していたことにはびっくり。日本も変わりました。。。

チェコのカルチャーショックはかわいいものでした。 こちらのとおり(英語です)。
お国によって違うんだなー、と実感した一件でした。

そして、インドでは、カルチャーショックというよりは カルチャーを超えた「人々の挙動」ショックみたいなものが多いのです (^o^;
たとえば、こちらに書いたこととか、 交通事情でいえば、こちらみたいなこととか。
インドでショックだったカルチャー? は、メイドさんのおトイレ掃除の様子。
便器を掃除するブラシを片手の持ったメイドさん。 便座を上げ、便器内をシャカシャカとお掃除。 うーーん、なかなか手慣れたものだ、と感心。 便座を下げる。 ん? ブラシはそのまま持ったまま。 と思いきや、同じブラシで便座をゴシゴシし出したのでした~Σ(・□・;) そして、濡れたままの便座に蓋をすると、な、なんと、 今度は蓋まで同じブラシでゴシゴシ~~!!
うううわああぁぁぁ 待った~~~!!!! 訂正させていただきました。



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インド英語 ー 第3弾の追加 (^_^;

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今日病院で習ったもうひとつのインド英語:

私:"Where do we need to go to get **** done?" (*** を受けるにはどこへ行ったらいいかしら)
看護婦:"minus one" (マイナス ワン)
私と主人:[無言]...[目が点]...????????
私:"I am sorry... what did you say?"
看護婦:"minus one" (マイナス ワン)
私:"minus one???" (マイナス ワン???)
看護婦:[ジェスチャーで階下を示す]
私と主人:"oh... ah... Minus One!!"
というわけで、Minus One は地下1階だったのでした (^o^;;

主人を治療室において、一人地下1階に予約をとろうと行った私。
どこへ行ったらいいかさっぱりわかりませ~ん。
看護婦さんの集団にまた同じことを聞くと、

"Minus two" と。

えへんっ!   もう分かるわよ~。
地下2階ね。

でも、結局地下2階へ行ったらまたマイナスワンだったんだけどね。 参るなーインド 💧


というわけで、イケてるビデオを見つけたのでシェアします:






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ショップ「インドの森」が新しくなりました

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あまりに忙しい上にとんでもないハプニング続きで、凹みそうな毎日ですが、
がんばってやっています (^o^)/
さてさて、気を取り直して、、、 私たちの初のオリジナル商品「生アムラパウダー」ですが、
皆さまのおかげで発売から1年を迎えました!!!  ありがとうございます m(__)m
ご愛顧いただいてきた皆さまに感謝の意を込め、8月1日から31日までの 1か月間、一周記念を祝うアニバーサリー・セールを開催します。
アムラの効能やよさについてはこちらにも書きましたが、リピーターさんからは 冷え性が治った、立ち眩みがなくなった、お肌が整ってきた、身体がすっきりする、
体調が何となくよい、湿疹がひいた、などなど、嬉しいご感想をいただいています。
私も偽りなくアムラパウダーのファンです✧♡

今回のセールは過去にない特別御奉仕価格となっています。 まだお試しでない方は、是非一度お試しください。 賞味期限は約1年半~2年です。 リピーターの皆さまは、どうぞこの機会にお買い求めください。

さらに、

今回のアニバーサリー・セールに併せ、「インドの森」も改装させて
いただきました。
今までと趣向を少し変え、ローカルアーティストとのコラボ・プロジェクトを 推し進めていきたいと考えています。
その第一弾として、バンガロールで知り合ったアーティストのダヌコンダ真理さん
(こちらに書いた本の著者) にコラボいただき、彼女の描くステキな
ゼンタングルアートを100% リサイクルエコペーパーに載せ、
グリーティングカードにしてみました。
まずはネコちゃんシリーズから。

次はヨガのアサナシリーズを発売予定です。

そして、南インドの「おふくろの味」を日本の食卓にお届けしたく、10種類以上の 香辛料から作られた激辛ヘルシーマサラを発売しだしました。

ほっかほっかご飯にぱらっとそのままかけていただくのもよし、
ココナッツミルクに入れて南インド沿岸風のカレーを作ってラーメン汁にしてもよし、
応用のきくマサラです。
えっ? たった 30g? と思う方もいるかもしれませんが、 1回の使用料は小さじ 1/4 ~ 1/2 で十分以上のコクのあるスパイシーさを
お愉しみいただけます。


お時間ができたら、ちょっと覗いてみてください (^o^)/





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インド英語 - 第4弾

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さーて、また面白い表現にぶち当たりました。
6年経っても未だにインド英語が分かりづらい情けない私たち。


それでも主人の方は、最近インドの会社の方々と話す機会が増え、
インド英語の表現をとことん学んでいるようです。

昨日、電話でとある業者に対して
"Please come in the afternoon." と繰り返し伝えようとがんばっていた私。
通じなーーい。

それを見ていた主人が、"second half" だよ、と。

言ってみたら、一発で通じた~~ (^o^;;
な~るほど、Second Half ね。
午前中は First Half なんだそーです。

あともう一つ、来ることになっていた大家さんのお父様から以下の SMS...

"Some one expired ..... "

expired とは、いわゆる「期限切れ」のような意味。
なーるほど、人間にも Expiration があるのは確か。
こういう表現をするんですね~。
※これ、つまり、どなたかがお亡くなりになった、という意味です。

あと、アメリカでは絶対に使わない表現がこちら。
レストランなどで二人である料理を share するときに使う表現ですが、
インドでは、"one by two" と言います!!
三人で分けるときは~~?~~?
はい、そうです、"one by three" です!!

あっぱれ、面白い!





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