マービン・ミンスキーの死

インドとはまったく関係ない話ですみません。

1月24日、あのマービン・ミンスキー博士が他界されました。
「人工知能の父」とも呼ばれたミンスキー。88歳でした。
Wikipediaより

実は、ミンスキーと私はかな~り遠くではあるのですが、
そしてさらには恐れ多いのですが、ちょっとだけ繋がっていました。

大学卒業後31歳になるまで勤めた会社に所以します。

この会社は、Logoというコンピュータ言語を日本に啓蒙する
ために作られたベンチャー企業。最強の創設メンバー6人の方々
に囲まれ、唯一新卒最年少で当時ハチャメチャな私を雇ってくれ
た会社でもありました。

Logoという言語は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のMedia
Lab(人工知能研究所)に所属したシーモア・パパート博士によっ
て開発された言語。

画面上のタートル(亀さん)で有名ですが、一番最初のタートル
のコンセプトを作ったのがミンスキーとシーモアだったのです。

また、60年代に2人は、「パーセプトロン」は線形分離不可能
なパターンを識別できない事を示し、共著「パーセプトロン」を
出版。

その後も、2人は親しく、MITの人工知能研究所を創設した
ミンスキーは、シーモアを co-director に採用。

70年代には2人はMIT人工知能研究所で「心の社会」理論を
開発。

1980年代のロゴ時代には、私は幸せにもシーモアと何度も会い、
いろいろな話を聞かせていただき、日本の学校を一緒に巡らせ
てもらい、ボストンの人工知能研究所にも1か月ほど滞在し研究
内容をとことん調査させていただき、、、。もちろんミンスキー氏
の名前もあちこちに。

考えてみれば、凄いことだったんですね。

児童心理学者のジャン・ピアジェのもとで研究した数学者のシー
モア。その彼ももう87歳。ミンスキーの死は大きかったことでしょう。

これ(↓) 20代の頃の私とシーモア。
眉毛濃かったなー。
若かったなー。





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