ちょっくら旅行:アンコール遺跡 (その8: アンコールトム内王宮跡)

バプーオンの裏手から狭い門をくぐって王宮跡地に入った私たち。
残念ながら当時の王宮の面影は一切なしです。
まだまだ謎の多い王宮ですが、石の上に木で土台作りがされていたなど、この記事の最後のビデオで一部の再現が見れます。

左手にそんな廃墟を見ながら、右手のピミアナカス (英語では Phimeanakas) に注目。


クメール王朝第9代目王ラージェンドラヴァルマン2世 (在位944-968年)統治時代に建造され、クメール王朝第13代目王スーリヤヴァルマン1世(在位1002-1050年)の統治時代に完成したとされているようですが、なぜそんな長い時間がかかったのか不明...。

これもやはりメル山を象徴するピラミッド型寺院で三層になっています。

四面それぞれに勾配の激しい階段がトップまで連なり、最上段の中央には中央祠堂があり、周達観が綴った『真臘風土記(しんろうふどき)』によると、塔は金色の尖塔に覆われていたとのこと。

そして、この塔にはとある伝説が。

あの頭がいっぱいついたヒンドゥー教の蛇神ナーガが絡んでいます。カンボジアまで来てインド色いっぱいで実は呆気に取られていた私と主人。ここにもか~~という感じ。
その伝説によると、この塔に潜むナーガは毎晩女性の姿に変身し王を向かい入れたとのこと。これを失すると災難が起こるとの理由から、王は毎晩欠かすことなくこの急勾配の階段を上がり、ナーガ扮する女性に逢いに行ったのだそうです。また、ナーガの姿が現れなければ、王の余命がないことを意味したのだそうで、これってもしかしてパワハラ(笑)。

王宮跡の敷地内には大き目のプールが2つあります。
以下の地図は Asienreisender から転載させていただきました。
Phimeanakas (上に書いたピミアナカス) の上側にあるのがプールです。




大きい方は女性用。小さい方は男性用。と、ガイドさんは言っていましたが、ある方のブログでは逆になっていました。ガイドさんによると、このプールは浴場としても使われていて、王様の内妻の数が非常に多く、この広さが必要だった、とか。本当かなー。

大きい方は125メートルx45メートルという規模。パノラマ写真でこんな感じ:



小さいプールの横にあるゲートから王宮跡を出て、外側に周るり、ライ王のテラスと象のテラスに。


三島由紀夫氏の「癩王のテラス」につながるこの「ライ王のテラス」。
とっても有名なクメール王朝第21代目王ジャヤーヴァルマン7世 (1181年 - 1218年頃) によって造られ、高さは6メートルもあります。

「ライ王」と名付けられた理由はライ病に由来するようです。どうやらこのテラスの上で発見された塑像が苔だらけで変色してきて、ハンセン病にかかった人を連想させたためだからだそうです。三島の戯曲とつながります。

現在は何ともチープな感じの布を纏ったレプリカがぽつんと真ん中に置かれています。
# ちなみに、2007年時点で世界で一番ハンセン病が多かったのがインドとか、、、。


テラスの土台はこんな感じに二重になっています。
ガイドさんになぜ、と聞いたのにまったく分からない様子でした(笑)。
外側にも壁画が一面に。


このテラスの横、南側には象のテラスがあります。
これがライ王のテラスから見た象のテラス。


このテラス、ライ王のテラスより低く高さは3メートルなんだそうですが、とにかく横に長い。300メートルはあるとのこと。
左側は象のテラスから撮ったもので、右側は象のテラスを降りたところから撮ったものです。


象のテラスには当然象が彫り込まれています。それもなぜか鼻で蓮の花を採取しています。


ガイドさんはまったくやる気なし。
本当は象のテラスをずっと歩いてみたかったけれど、先を急がされてこの後すぐに車へ。
汗だくになった王宮跡の見学でした。


この王宮はまだまだ謎ばかりですが、考古学者や周達観の記録からある程度再現され始めています。このビデオに一部が載っていますのでご高覧!




こんな輝かしい王宮でどんな生活が送られていたのでしょうか。
次はアンコールトムを出てプリヤ・カーンです。お楽しみに♪




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